2009年01月02日私が生まれたとき
私が生まれたのは1月2日と3日の丁度間だったそうです。
本当は1月17日が予定日だったそうで、もし1月17日に生まれていたら、三浦百恵さんと同じお誕生日でした。それから、淡路阪神大震災のひでもあります。
母が1月2日に明治神宮へ父とお宮参りに行って、あの長い砂利道をずっと歩いて、家に帰ったら破水して、病院へ行ったらすぐ生まれたそうです。
兄は生まれたとき「ぎゃお-!」と泣き叫んだらしいのですが、私は「メエ、メエ」と羊みたいな声で小さく泣いたそうです。「それがこんなに元気な子になるとは」と母にいつも言われていました。
そして私が生まれてしばらくして、父がテニスの帰りでラケットをもったまま病院に来て、私にラケットを触らせたそうです。
それからうん十年、まさかこんな歳になるまでほとんど毎日そのラケットを握ることになろうとは、父も母も私も、お釈迦様も思いませんでした。
本当は1月17日が予定日だったそうで、もし1月17日に生まれていたら、三浦百恵さんと同じお誕生日でした。それから、淡路阪神大震災のひでもあります。
母が1月2日に明治神宮へ父とお宮参りに行って、あの長い砂利道をずっと歩いて、家に帰ったら破水して、病院へ行ったらすぐ生まれたそうです。
兄は生まれたとき「ぎゃお-!」と泣き叫んだらしいのですが、私は「メエ、メエ」と羊みたいな声で小さく泣いたそうです。「それがこんなに元気な子になるとは」と母にいつも言われていました。
そして私が生まれてしばらくして、父がテニスの帰りでラケットをもったまま病院に来て、私にラケットを触らせたそうです。
それからうん十年、まさかこんな歳になるまでほとんど毎日そのラケットを握ることになろうとは、父も母も私も、お釈迦様も思いませんでした。
投稿者 佐藤直子 23:59 | コメント(0)| トラックバック(0)
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