2012年11月05日建礼門院徳子
寂光院は、とても静かで、木々に囲まれた、心奥深くに染み込む何かのある場所でした。
仕事に終われて、あっち行ったり、こっち行ったり、あの事をどうしよう、あんなことを言われてしまった…等々、心配事の多い私のようなつまらない人間がたまに訪れるには、最高の場所でした。
しかし、29才の徳子さんにとっては、どのような場所だったのだろうかと考えると、同情せずにはいられませんでした。
ただ、本当のことは、私にはわかりませんよね。もしかしたら、ここで何かすごく楽しいことがあって、毎日ワクワクしながら生活していたかもしれませんし。
この急な狭い坂を、どのような気持ちで徳子さんが上がったのかと思いましたか、もしかしてすごいスポーツウーマンで、「毎朝10回!」とか決めて!すごい勢いでダッシュして体を鍛えていたかも知れません。
ただ、栄枯盛衰の侘しさを感じました。
〓〓〓〓佐藤直子 〓〓〓〓
仕事に終われて、あっち行ったり、こっち行ったり、あの事をどうしよう、あんなことを言われてしまった…等々、心配事の多い私のようなつまらない人間がたまに訪れるには、最高の場所でした。
しかし、29才の徳子さんにとっては、どのような場所だったのだろうかと考えると、同情せずにはいられませんでした。
ただ、本当のことは、私にはわかりませんよね。もしかしたら、ここで何かすごく楽しいことがあって、毎日ワクワクしながら生活していたかもしれませんし。
この急な狭い坂を、どのような気持ちで徳子さんが上がったのかと思いましたか、もしかしてすごいスポーツウーマンで、「毎朝10回!」とか決めて!すごい勢いでダッシュして体を鍛えていたかも知れません。
ただ、栄枯盛衰の侘しさを感じました。
〓〓〓〓佐藤直子 〓〓〓〓
2012年11月05日寂光院
寂光院は、聖徳太子が594年に御父・用明天皇の菩提を弔うために創建されました。
そらから、平清盛の二女の建礼門院徳子が、終生を過ごされた閉居御所です。
建礼門院徳子が、29才で壇ノ浦の戦いに敗れ、海に身を投げたが一人だけ助かってしまい、この人里離れた寂光院で、亡くなる36才まで過ごされたそうです。
〓〓〓〓佐藤直子 〓〓〓〓
そらから、平清盛の二女の建礼門院徳子が、終生を過ごされた閉居御所です。
建礼門院徳子が、29才で壇ノ浦の戦いに敗れ、海に身を投げたが一人だけ助かってしまい、この人里離れた寂光院で、亡くなる36才まで過ごされたそうです。
〓〓〓〓佐藤直子 〓〓〓〓
2012年11月05日ちょっと寄り道
京都は良いですね。
仕事へ向かう途中、寂光院という字が見えたので、ちょっと寄って頂くことになりました。
紅葉はまだだと聞いていましたが、始まっているところもありました。
〓〓〓〓佐藤直子 〓〓〓〓
仕事へ向かう途中、寂光院という字が見えたので、ちょっと寄って頂くことになりました。
紅葉はまだだと聞いていましたが、始まっているところもありました。
〓〓〓〓佐藤直子 〓〓〓〓